「語黙動静体安然(ごもくどうじょう たいあんねん)」というお言葉があります。
「語」とは物ということで「黙」とは黙っていることです。
「動静」ですから動いていようが静かにしていようが、その間「体」というのは心体のことで、心が泰然自若(たいぜんじじゃく)として動かずにいる、これが「禅」だというのです。
すべて絶念で妄想が無い、うろたえる精神が一つもない、心体が安全で在りさえすればいくら動いても構わないということです
それをその反対で体は坐っていても精神は動き通しに動いている、一分間でもじっとしていられない、あれを思い、これを思って妄想に亘る、それでは坐禅ではありません。
そこを古人も一心にするために「公案」を用いられたのです。