「自性の体(たい)即ち仏性の霊覚(れいかく)」というものは水の冷暖を自知するようなもので、水の冷たいというのは、水を飲んでみなければ分かりません。
しかし、水を飲んだ者にどんな加減に水が冷たいと聞いたところで「そういう風に冷たい」と、説明は出来ません。
水の冷たさは飲んではじめて分かるのです。
言葉で彼此いっても駄目なもののように恰(あたか)も「自己覚性の体(たい)」は虚空の如きものです。
「虚空」といったら何処まで行っても涯岸の無い大きいもので「絶対無限」です。
「虚空」は「絶対無限」ですから、彼此と言葉を以て形容することは出来ないのです。
「霊覚の体(たい)」もその通りのもので何んとも言葉には言われぬのです。
「絶対無限」です。
論語に曰く「之を仰げばいよいよ高く 之を鑽(き)ればいよいよ堅し」と。